わたしの小さな窓

風がカーテンを揺らす

過不足の無い暮らし

過不足の無い暮らしを送っている・・・

 

こう思えるようになるのには

 

随分と長い時間がかかった。

 

努力家ではない私に、そうそう良い事ばかりは起こらない。

 

口を開けて待っていても棚から牡丹餅は落ちてこない。

 

 

 

 

年をとって

 

あまり腹が立たなくなった。

 

今でも文句たれの本質は変わってないけれど

 

子どもの頃からの無力感や行き場のない感情

 

そんなものが

 

薄皮を剥ぐように無くなって

 

素の自分でも良いと思えるようになった。

 

最近は「生き辛さ」を感じて生きることも

 

世間が認めてくれるし、

 

人と違うことは個性と言ってくれる。

 

「友達百人」作れなくても

 

「友達いらない」でもいい。

 

 

 

年をとったので

 

体のあちこちにガタが来ている。

 

でも、外で働けないほどではない。

 

子どもたちもそこそこ幸せに生きているようだ。

 

夫も枯れた。

 

互いに譲歩出来るようになった。

 

 

 

母がもうすぐ死ぬけれど

 

母が望むように

 

子より先に死ぬのだからそれでいいと思う。

 

 

 

お金がもう少しあれば

 

もっと楽な暮らしが出来たかもしれないが

 

そんなに無くても暮らしてこれたのだから

 

このまま夫婦のパートの賃金と少な目の年金できっと事足りる。

 

 

 

今更、過分な福は要らない。

 

必ずその対価を支払うことになるのだから。

 

程々がいい。

 

身の程にあった

 

この過不足の無い暮らしがいい。