わたしの小さな窓

風がカーテンを揺らす

今日の私の生きる意味

誕生日は9月19日

 

71歳になるけれど

 

それ以外なにも変わりはしない

 

緩やかに老化し

 

終了の日の満願へ近づく

 

 

3つ違いの姉は

 

先月、軽度の認知症と診断された

 

軽度っていうけれど

 

あれもこれも出来なくなり

 

先月は出先から家に帰られなくなり

 

警察に保護され私の所へ連絡がきた

 

 

母が存命中から

 

姉のボケは始まっていた

 

DVDの操作が出来ない

 

そう言ってきたのはもう4年以上前

 

病院へ行きなさい

 

何度繰り返しただろう

 

ぬらりくらり答えをはぐらかし何年も過ぎ

 

その結果がこれだ

 

 

 

姉の中に

 

病院へ行かなった理由は色々あるのだろう

 

自分がボケ始めているという自覚はあったはず

 

だけどその状態を緩慢と受け入れて

 

今は一人で暮らせるかどうかの限界ギリギリ

 

 

 

私の中には小さな怒りがある

 

その矛先は

 

本来姉の病気へ向かわなくてはいけないが

 

姉自身に向けられる

 

そういう人生を望みはしなかったでしょう?

 

 

病院へも付き添おう

 

役所にも届けを出しに行こう

 

必要なら引越をさせて近所へ住まわそう

 

小さな肩代わりならいくらでもする

 

だけどそれは私が生きていて元気なうちだけ

 

 

 

生まれた順番に死ぬと解っているなら

 

私は姉が死ぬまで待とう

 

小さな葬式と

 

要らないモノだらけの部屋をきれいに丸ごと片付けて

 

小さな我家の墓に入れた母の名前の隣に

 

姉の名前を刻もう

 

 

 

夫と生きて

 

働けるうちは働いて

 

来年も誕生日を迎えて

 

脳トレして

 

サプリ飲んで

 

私の人生には

 

きっともっと残された意味がある

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

姉の人生は背負えない

 

喜びも幸せも自分の中にある

 

それを見いだせない人は

 

きっと見いだせないままに

 

不幸だと思い続けるのだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日の私が思うこと

今日も暑い

 

北海道だというのに

 

 

 

それでもエアコンも設置せず

 

毎年やり過ごしているのだから

 

全国的には暑くない方なのかもしれない

 

ここから離れたこともないので

 

今日の暑さを暑いと感じるだけで

 

どこどこより涼しいから恵まれているなどと考えたことはない

 

 

 

自分は自分の分かる範疇でしか何事も理解できず

 

その中でちまちま生きていき死んでいく

 

そういう幸せな存在なのだと思う

 

 

 

ニュースでは

 

悲惨な戦争や貧困

 

理不尽な事件に巻き込まれ

 

何の解決もないまま

 

内臓が千切れるような思いで生きている人の事を

 

さらりと報道する

 

テレビと私の間の大きな深い河

 

不幸が見たくない時にはスイッチを切る

 

大きな深い河が

 

まるで存在してなかったようにきれいさっぱり消える

 

 

 

私はひとりで

 

力もなく能力もなく

 

解決できる手段を何も持っていない

 

パワフルに世の中を良くすると演説する誰かに

 

1票投じるのがせいぜい

 

 

 

時々は世界の平和を願う

 

みんなの幸せを願う

 

あなたが私を助けてくれたように

 

私も誰かを助けられたらと思う

 

思いは叶わなくても

 

思うこと

 

それさえ失くしたくない

 

 

 

 

私のこと さらり

先日69歳になった

今もパートのおばちゃんとして

1日6時間週5日働いている

仕事は体が続く限りやるつもり

そこそこ食べて

ちょっこと旅行へ行けるぐらいの

お金があると幸せだから

 

2000万円無いと老後が不安なんて言うけど

無理無理!そんなお金はない

いつまで生きるかわからないが

体が動くうちの

ささやかな幸せのためにお金を使いたいから

長生きすると、もしかして辛いかもね

でも何とかなるんじゃないかと楽観視している

明日のことを今日思い煩っても

明日は明日の思い煩いがあるだけだから

 

誰に向けてのブログかと言われると

んーっと考えてしまう

時々何かが下りてきて

詩が書きたくなる

誰かに読んで欲しいのかというと

それもまた、んーっと考えてしまう

 

きっと降りてきた何かを形にしたいのだと思う

 

今はこうして簡単に活字になるけど

ワープロも持ってない時は

汚い癖字でごそごそ書いていた

きっと25年ぐらい前になるかな

ワープロ手に入れた時は感動した

自分の詩や文章が

まるで本や新聞のように

きれいに並んだ活字になるんだ!

作品の出来も3割アップなるように思えた

 

文章を書く場合

やっぱり読み易さは大切!

そのうち30年も40年も前に書いたモノを載せるかも

 

ネットに繋がるようになってから

10年近く大手のブログに乗せていたのだけど

そちらが無くなってこちらに移転

移転して放置

時々戻って書き込み

今に至る

ここはいつまでやれるのかな?

そのうち無くなっちゃうのかな?

私が死んじゃってもここが残っていたら

10年放置したら撤収みたいになるのかな???

 

私は今

石ころのようにここに居たい

なんか一つ自分の窓を持っているだけで

何もしないでいるよりはいい感じ

石ころだからね

卑下するわけじゃなく

私はそういう存在であると十分認識している

 

年寄りが多くなって

ユーチューブなんかでも

色々発信されている方もいるし

高齢になったから何もできないじゃなくて

色々やろうと思えばできる時代でもあるというのが

ちょっとうれしいね

着るものも

年を取れば取るほど自由になって

自分が快適!自分が好き!を着るようになった

年を取るのはそんなに悪い事じゃないなと思える

心が随分と自由になった

人にも依るだろうが

愛欲肉欲にしがみつくパワーは無い

いまはさらりと生きていきたい

 

さらり…がいいね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カタツムリはかく語りて

柔らかな殻は何の防御になるのか?

 

角は角ではあるまい。

 

戦う事は前提ではないという事か?

 

確かに戦士では無い。

 

世間は敵か?

 

そうとも言えないけど

 

防御力はさておき、まずはフル装備。

 

 

 

エスカルゴとは?

 

サイゼリアのメニューを見ながら考える。

 

清潔に安全に養殖されたカタツムリ。

 

食用カタツムリ、彼らは雨の日を知らない?

 

 

 

タツムリは虫ではなく貝のお仲間。

 

ナメクジも貝のお仲間。

 

タツムリが殻を脱いだらナメクジにはならないだろう

 

そんなことは誰でも知っている?

 

 

 

さて私の柔らかな傷つきやすい心にはどんな殻が必要か?

 

裸では歩かない、この一択

 

 

 

私は人と関わるのが苦手

 

人を覚えるのも苦手

 

引っ込んでいられるなら引っ込んでいたいと思う

 

発達障害とかいろいろ

 

そんな風なもんなんだろうなと最近思う

 

もっと子どもの頃にこの言葉があれば生きやすかったかな?

 

過ぎてしまったことは何とも言えない

 

 

 

都合の悪いことはスルーするのがいいと思う

 

自分の痛み抱え込みすぎて

 

ドロドロの人生を歩むのは勿体ない

 

時間を変える 場所を変える 相手を変える

 

スルースキルを上げて

 

決して「逃げ出した自分」を責めるなんて事をせずに

 

だたじっと黙って引っ込んでいればいい

 

物事は過ぎ去る

 

もしくは自分から去る

 

未来に出会える人によって

 

あなたはもっと自分を愛せる自分になれるかも

 

そのためには

 

今の自分を大切に

 

殻を被って生きましょう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シャーマンの首飾り

夜に立つ

脳裏は澄んでいる

闇の中

見えないモノを見る

砂浜のほの白く光る貝殻を

ひとつ

ひとつ

拾い集め繋げて

シャーマンの首飾りを作る

 

言葉は未来を語る

 

ここに居るみんなが死ぬ

明日かもしれず

ずっと先かもしれない

自分が望めば

生まれてきて良かったと思える道を歩める

 

風が吹く

物事は留まらない

思いもよらない変化の時が訪れ

人は皆選ばなくてはいけない

何をどう選ぼうが

ただ死に向かっているだけと知る

 

誰かを愛すれば

自分も愛されるのか?

愛は物々交換にはならない

欲すれば欲するほど渇くだろう

まずは自分の穴を

その穴の底を見つめなさい

自分の穴の深さを知った時に

そこに注がれた水の豊かさを知るだろう

 

何でも良いと思えば

何でも手に入れる事が出来るだろう

欲深く生きれば

もしかして多くの手に出来るかもしれない

だがいらないものはいらないと思えば

それだけで暮らせる

 

年をとれば

醜く老い

力を失い

全てが鈍り

脳は萎縮を始める

歩くことさえ出来なくなる

それが不幸か?

 

感謝する者には

幸せが訪れる

幸せは円い玉の形をしていて

その玉は

円い心にしか嵌らない

 

特別でない者は

己の一歩を確実にして歩み

時に停まろうが

顔は歩む方へ向けている方が良い

見失ってはいけない

本当の道は

細く狭く切り立っている

そこを歩いていけるのは

前を向いている人だけだから

 

 

 

 

 

 

円い死と棘のある死

小さな犬が

小さな胸を上下させて荒い呼吸を繰り返している

 

命が刻々と削られる

この犬は死んでしまうのだ

私より先に死んでしまうのだ

ついこの間まで仔犬だったのに

こんなにみんなに愛されているのに

 

去年母が亡くなった

コロナ禍で面会も出来ずにいた

最後会った時

ただ苦し気な呼吸に肩を揺らしていた

目を開けることも

会話することも叶わなかった

会ったその日の夜

身内一人もいない中で母は息を引き取った

 

母が死ぬことは

ずっと前から解っていた

高齢でその肉体が生きることを支えきれなくなっていた

母も自分が死ぬことを解かっていたし

皆も遠くない日に母は死ぬと解っていた

誰より年かさの者が先に逝く

これが一番自然で幸せな終わり

 

それから1年

私は母のために泣いたことは無い

母は十分に生きたし

私にやり残したことは無い

遠からず私も母の入った墓に入る

湿って暗い墓の中で

先住の骨と共に土に還っていくだけ

命が無くなった肉体に意識はない

思いや心が漂うこともない

生き残った者が

記憶の中で生かし続けるだけ

 

命を全うするとは

どういうことだろう

命が途切れそうな

小さな犬の体を撫ぜながら考える

私の命を削って

その犬にあげることが出来たら

どんなにいいだろう

この小さい犬の死の鋭い棘を

私は受け止められず恐れ慌てふためいている

 

きっと命は不公平に出来ているのだろう

幸せとか満足とかそんなものが無くても

あらゆる形で死は訪れる

あるがままの事実に

ただ対峙するしかない

死の棘がどんなに深く心に突き刺さろうと

私に出来るのは

あなたを愛していたよと

そう伝えるしかない

それが伝わっても伝わらなくても

あなたをとても愛していたよと

そう伝えるしかない

きっと

それしか出来ない

 

 

 

 

 

 

 

こぼれたビーズ

小さな厚紙の小箱

私の宝箱

久しぶりに開けるとビーズが零れ落ちた

幼かった娘がくれた

ビーズの指輪の糸が切れていた

 

何年かぶりに帯広へ行った

そこは私の中で特別な町だった

16歳の私がいた街

思い出も私とともに年を重ねるのかと思っていたけれど

いつの間にか糸は切れ

残ったのは繋がらない電話番号だけ

 

もうどこにも誰もいない

乾いた砂が零れるように

私から全てが零れていく

そして私も砂になる

零れて消えて見えなくなる

 

床に零れた色とりどりの小さなビーズ

娘の湿った小さな手が

私にはめてくれた指輪の欠片

大事に思っても

それは永遠にはなりえない

私自身が過ぎ去っていくものでしかないから

 

そして

それでいい

永遠に残るものなど無い方がいい

ゼロから形作られたものは

ゼロに戻るだけなのだから