暑い日
昭和2年生まれの父は志願して17歳で戦争へ行った。視力の良さと腕の長さを買われ戦闘機の射撃手になった。その戦闘機は、敵と戦闘する事無く故障して南の海に沈み、父と上官は泳ぎたどり着いた島で数日後に救助された。
私が小学生の頃、父が自身の戦争体験を綴った手記を読ませてくれた。ただ一度の事だったし、その後父と母は別々に暮らすことになり私は母に付いていったので、それきりその手記の行方はわからない。
戦争を経験した大人達の中で育ったのに、私の身近の人達は戦争をあまり語ろうとはしなかった。
夏になると、長崎と広島の原爆投下と終戦の日が巡り、強い日差しに影が濃くなった庭の樹木の陰に何かが潜んでいて覗き込んではいけない世界があるような気持ちがした。ニュースの画面から聞こえる重苦しい程に重なった蝉の鳴き声や黙とうする人々の額から滴り落ちる汗。
75年経った今も戦没者の遺骨の収集が続けられていると言う。思いは引き継がれ、きっときっと楔になると思いたい。
多くを語らなかった大人達は、自分の痛みを子や孫に伝えることより、戦争から回復していく世の中で、それが当たり前に育っていく子らに平和と平穏を見ていたのかもしれない。
そして私(達)、「戦争を知らない子ども達」も平和な世の中で十分に年を重ねた。私達は次世代に何が残せただろう?